身内の不幸に遭遇してスバル車・レガシィに改めて思ったこと

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もしも300キロ先で大切な人が命の危険に遭遇していることを知ったら…

今回はあまりしない自分のプライベートな経験について少しだけふれてみようと思う。

突然の重い話からとなってしまうが、もしも300キロ先で大切な人が命の危険に遭遇していることを知ったら、あなたはどうするだろうか?

例えば、あなたの家族が遠方の地で事故や急病に遭い命の危機に陥ったと連絡を受けた場合などだ。

ほとんどの場合、その大切な人のもとへ急いで向かうだろうし、また多くの人はその交通手段として自家用車を使用することだろう。

実際にこのようなシチュエーションは、あまり関係ないと思われる人が多いかもしれない。

特に若い人には、そんな感じの人が多いだろうが(自分もそうだった)、実際は、そんなこともないのである。

自分も含め、人は必ずいつかは死ぬし、多くの場合は、自分達よりも親のほうが早く死ぬことになるのだからだ。

私もだんだん歳をとってきているが、親にしても周りの人達にしても高齢になってくるわけで、そういうことが増えてはくるだろうとは思う。

今回のプライベートな話というのは、私自身、遠方に住む身内に命の危機が生じたということだった(不幸中の幸いであるがこの時の身内は一命を取り留め、快方に向かった)。

その際に、自身の持つレガシィで、急ぎ遠方の身内のもとへ向かうなかで感じたこと、特にスバル車・レガシィに対して改めて感じたことをここで書いてみたいと思う。

冷静になることが難しい時の長距離運転に使用したい車

私のようなシチュエーションに遭遇した場合、多くの人が自家用車を使ってその大切な人のところへ向かうことだろう。

公共の交通機関があるような場合は、車を使う必要なないだろうが、車よりも速く目的地へ到着できる公共交通機関を有するような場所というのは鉄道網の発達する都市圏か、またはよっぽど遠方の場合を除いてはそれほど多くないはずだ。

そんな車で大切な人のところへ急ぐ時に、どんな車でその場所に向かいたいと思うだろうか?

もしも時間が少しあれば、全く金銭的なことなど考えずに空想してみていただきたい。

メルセデス・ベンツのEクラスだろうか?ボルボのXC90だろうか?トヨタのクラウンだろうか?それともレクサスのLSだろうか?

私の場合は、やはりスバルの車だろう。

スバル車のワゴンかセダンで、かつ高出力なモデルだろう。

現在乗っているレガシィツーリングワゴンのターボか、レヴォーグの2.0ターボモデル、WRXのS4などもいい。

もちろん、メルセデスでもボルボでもレクサスでも、それら高級車のほうがもっと良いかもしれないが自分はまだそれらを保有したことがないのでわからない。

しかし、そんな落ち着いていられない時ほど、「速くて安全な車」かつ「運転していて落ち着ける車」がよいだろう。

冷静になれない時でも常に運転に落ち着きを与えてくれたスバルの車(レガシィ)

私の場合は、身内に命の危険がある(というより、死んでいる可能性もある)という連絡をもらって、約300キロを車(レガシィ)で走ったのだが、心中は本当に落ち着かなかった。

とても気が動転していたし、それを悟られないように表面上だけ冷静を保っていた感じでもあった。

そのような時の車の運転というのはとても危険であるものだ。

冷静な判断力がそもそも欠けているし、どうしてもスピードは出して急いでしまうし、場合によっては車の運転が余計に気持ちの動転を加速させることだってある。

しかし、レガシィに乗り込み運転し、目的地まで運転を始めたところ、不思議なことに気持ちが少しずつ落ち着いていくのだ。

これまでも、このサイトで「レガシィ(ターボ)の運転には刺激的な楽しさはない、それよりも、どんな速度域でも安心して走ることができる安心感がある。」というふうなことを書いてきたが、このような非常時であってもそれは変わらなかったのだ。

ターボ車は力があるので自分の思い通りの速度で走れるので運転者との一体感がある。

もちろんスピードを出してとばすこともできるが、実際のその時は、周りの交通の流れに合わせる程度で、それ以上の速さを出すことを車(レガシィ)がセーブしてくれていたようにも感じる。

まるで、車(レガシィ)が「安全に落ち着いて走りなさい。もしも、速く走りたいなら走りなさい。たとえどんなスピードでも私が安全に走ってあげるから。」と言っているかのようだ。

これが、この車のキャラクターなんだろうと改めて感じた。

本当に安全な車は乗る人の精神面にも作用する

実際、よくよく考えてみるとこのような不幸で駆けつける経験は、私の場合今回で二度目だ。

前回は800キロ先まで、休憩も最低限しか取らずに急いだのだが、その時も同じ感じだったことを思い出した。

最近では、車載レーダーやカメラなど進化・低価格化により車の予防安全性能が劇的に進化している。

またそれらは、高級車のみならず普通車、軽自動車まで多くの車で当たり前に採用されるようになりつつある。

そういったこともあり、ほとんどの車は安全になりつつあるし、スバルのアイサイトについても登場した当初のようにアドバンテージはなくなりつつあるとも言える。

しかし、私のレガシィも含めスバル車の多くには、アイサイト以外にもまだ大きなアドバンテージが残っていることを気づかせる。

他メーカーと比べても優秀な、実際の衝突時の衝突安全性能というところもあるが、その他にも大きなものがある。

それは、運転していて「落ち着ける」という性能だ。

普段、車は乗って楽しいという性能が大事な要素で、マツダなどはこの分野を得意とする。

しかし、楽しくはないけど「落ち着ける」という性能も、車の安全性を高める上ではとても重要な性能だ。

車を安全に走らせるためには、楽しいワクワクよりもむしろ「落ち着ける」ことのほうが重要だろう。

本当に安全な車は乗る人の精神面にも作用するのだ。

私のレガシィは、運転していてあまり楽しくはないが、運転していて「落ち着く」ことができる。

今後ますますスバル車は、アイサイトの機能を進化させ高度で安全な自動運転の技術を搭載してくるだろう。

その進化したアイサイトとスバル車が持つ「運転していて落ち着ける」という性能で、ますますスバル車は安全性を高めていくことになるのではないか。

私の今回のような不幸が訪れたとしても、それによってどんなに気が動転していても、愛する人が待つ場所まで、スバル車はこれからも多くの人を安全に運んでくれるはずである。

レガシィとスバルに感謝を込めて

今回のプライベートの不幸な経験は、自分が乗るレガシィ、そしてこのような車を作ってくれたスバルに感謝の意味も込めて書いてみることにした。

内容的には、読んでいただいている方にはあまり役には立たないかもしれないが、それも承知の上だ。

今回の経験は、滅多に遭遇しない場面に遭遇し、スバル車・レガシィの持つ良さを改めて認識し、再度惚れ直した機会、そして感謝した機会だった。

スバルの「速い車は安全な車」的な思想が自分の守ってくれていることを改めて感じた機会でもあった。

ユーザーが心から信頼することのできる車を作れるメーカーは強い

スバルは多くのファン(スバリスト)を持つメーカーであるが、こういった企業の姿勢がそれを強固にしているのだろうし、そういった姿勢を失ってごく普通の自動車を作るようになった時こそがスバルの終わりなんだとも思う。

ユーザーが心から信頼することのできる車を作れるメーカーは強い。

このような車を作れることがスバルの価値なんだなと改めて納得した。

改めて自分のレガシィに感謝、このような車を作ってくれているスバルに感謝だ。

スバルには、これからも、このような車を作り続けて欲しいと一(いち)スバリストとして強く思う。




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